はじめに
先日またまた道端で声をかけられた一人のキリスト教信者の方との会話が思い出されました。
その方はまっすぐな瞳で、私にこう問いかけたのです。
「あなたは神を1から10の割合でどのくらい信じますか?」
私は迷うことなく「10です」と答えました。
それは、長年の自己探求の旅の果てに辿り着いた、揺るぎない確信だったからです。
目次:

自分を愛するという第一歩
ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。
感情を抑え込んできた過去、否定してきた自分の一部を、少しずつ抱きしめていく作業。
「なぜ私はそう思うのか?」「それは本当だろうか?」と自分に問いかけ続ける日々は、まるで心の奥に絡まっていた糸を静かにほどいていくような時間でした。
自己統合とは、自分を知り、愛し、許すこと。。
強さも弱さも、光も影も含めて「これが私」と認めたとき、内側に静かな調和が生まれていきました。

宗教への違和感がくれた問い
実は、私は小さな頃から宗教に対して違和感を抱いていました。
どの宗教も「愛」を説いているはずなのに、なぜ争いが起きるのか──。
その矛盾がずっと心のどこかに引っかかっていたのです。
きっと、信仰というものは、人それぞれの解釈と背景を持っていて、それが時に分断や対立を生むのでしょう。
でも、教義の違いを超えたところにある共通の本質、「愛」と「調和」こそが、本当の宗教なのではないかと、私は感じるようになりました。

私にとっての「神」とは
今日の問いに「10」と答えたとき、おそらく私とその方の思い描いている「神」は、全く異なる存在だったと思います。
彼にとっての神は、おそらく人格を持ち、導き、裁き、救う存在。
一方、私にとっての神は、内なる声であり、宇宙の法則であり、万物を貫く光のようなもの。
言葉で捉えることができない、けれど確かに感じられる「何か」。
それは、自分の内側にありながら、すべての存在と繋がっていると感じられる、静かで優しいエネルギーです。

魂を磨くために生まれてきた
私はいつからか、「この人生は魂を磨くための旅路なのだ」と考えるようになりました。
日々の喜びも苦しみも、全てが学びであり、成長の糧。
その視点に立つと、どんな出来事も愛おしく感じられるようになったのです。
「なぜ自分にこんなことが起きるのだろう?」ではなく、
「この出来事を通して、私は何を学べるだろう?」という問いに変わっていきました。

必要なことしか起きないという確信
私が辿り着いたもう一つの信念、それは──
**「必要なことしか起きない」**ということ。
偶然に見える出来事も、辛い経験も、
全てが自分の魂の進化のために用意されたものだと捉えることで、
人生への信頼が生まれ、不安が少しずつ溶けていきました。
もちろん、すぐに納得できることばかりではありません。
意味を見出すには時間がかかることもあります。
でも、それでも、「これは私に必要だから起きている」と信じることで、
目の前の現実と優しく向き合えるようになりました。

結び:この旅は続いていく
福岡の夜空は今日も静かに瞬いています。
その星々の下で、私はまたひとつ、自分の内なる宇宙とつながっている感覚を深めました。
私の旅はまだ続いています。
だけど、この確信があるのです。
私たちはみな、魂を磨くために生まれてきた。
そして、その旅路は、誰にとっても、かけがえのない光の道。
あなたの旅は、今どこにありますか?
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