ゆきよちゃん|心の縄をほどく専門家からの手紙

ほどく、ゆるむ、自分に還る。 空海の智慧とともに綴る、あなたの心を自由にするメッセージ

「逃げてもいい。でも、人生のハンドルは渡さないで」 〜宗教やスピリチュアルに“頼る”と“委ねすぎ”の違い〜

はじめに

 

なぜこんな話をしたくなったのか


「宗教とかスピリチュアルって苦手なんです」

そう言うと、驚かれることがあります。

 

でも、正直な気持ちを言えば、私は小さな頃から“宗教”という言葉に違和感がありました。


戦争のきっかけになるほどの思想の対立。

 

「うちの宗派こそが正しい」と、まるで優劣をつけるような空気。

 

愛を教えるはずのものが、なぜ人を裁いたり、縛ったりしてしまうのはなぜなのでしょう?


もちろん、宗教にも、スピリチュアルな教えにも、素晴らしい本質があることは知っています。

 

でも、それと同じくらい「それを利用する人間のエゴ」にも、私は何度も出会ってきました。

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宗教やスピリチュアルに違和感がある理由

 

教祖と呼ばれる人が、人々から絶対的に崇められ、その人の言葉通りに動かないと“罰が当たる”と言われたりする。


金銭的な献金が、救いの条件のように語られたりする。


そんな場面に触れるたびに思うんです。

 

本当に大切にしたいのは「誰かの言葉」より、「自分の感覚」なんじゃないかって。


愛を説くなら、

自由であってほしい。

選択肢があってほしい。

 

“信じなければダメ”という言葉ではなく、

“あなたのままでいい”というあたたかさがあってほしいなぁと思います。


それが本来の宗教やスピリチュアルの持つ、「人と人をつなぐもの」「心を癒すもの」だったはずなのに――

 

現実には、“依存させる仕組み”になってしまうことがあるんです。

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苦しいときに「逃げる」のは悪くない


ここまで書くと、まるで宗教やスピリチュアルを否定しているように聞こえるかもしれないですが…


でも、そうでもないのです。


私は、苦しいときには「逃げていい」と思っています。

 

誰かや何かに助けてもらうことも、大切なことだと思います。

 

人は誰しも、支えが必要な時期もあります。


ただ――

 

「自分の人生のハンドル」を、他人に渡してはいけないと思うのです。

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その人の言葉が“正しい”かどうかじゃない


誰かに「こう生きるべきだ」と言われて、

「そうか、そうしなければ不幸になるんだ」と思い込んでしまうんです。


一度そうなると、自分で感じて、自分で選ぶ力は、少しずつ奪われていくんです。


大切なのは、その人が“正しいか”じゃなくて、

「その言葉を自分がどう感じるか」だと思んです。


納得できるなら、取り入れたらいい。

でも、違和感があるなら、そっと手放してもいいんじゃないでしょうか?


誰かの教えがどんなに美しくても、

自分の感覚を無視してまで従う必要はない。


スピリチュアルや宗教は「道具」にすぎない


本来、宗教もスピリチュアルも、

「わたし自身の本質」に還るための“道具”だったはずです。


外に神を見なくてもいい。

 

あなたの中に、ちゃんと“神聖さ”はあるはずです。

 

そこに気づくためのサポートとして、言葉や教えや祈りがあるのなら、それはとても尊いことだと思います。


でもそれは、あくまでも「自分に還るための道」であって、

「自分を手放す場所」ではない。


お願いはしてもいい。

導きを求めてもいい。

 

でも、すべてを明け渡すような“依存”には、やっぱり違和感があるんです。

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おわりに

 

あなたのハンドルは、あなたの手にある


もし、今あなたが、

誰かの言葉に従いすぎて、

自分の声が聞こえなくなっていたとしたら――


大丈夫。

あなたは、ちゃんと自分の道に戻ってこられる。


逃げてもいい。

頼ってもいい。

 

でも、自分の“感じる力”だけは、どうか手放さないでください。


あなたの人生のハンドルは、あなたの手の中にある。

 

その手は、何度だって握り直せる。


それは、きっと「自分を信じること」を思い出すプロセスなんです。

 

そしてそれこそが、本当の意味での“スピリチュアル”なんだと、私は思っています。