── 迷ってばかりのわたしに、やさしく手を差し伸べる日
小さなころからずっと、
「このままのわたしではダメなんじゃないか」って、
どこかで思い続けてきました。
家族の中で、学校の中で、
そして社会に出てからも、
“ちゃんとしたわたし”になろうとしてばかりで。
ふと立ち止まったとき、
「わたしって、本当は誰だったっけ?」
そんな問いが、心にぽつんと残っていたのです。
- 誰かの期待に応えることが、わたしの役割だった
- しあわせって、なんだろう?
- 「わたしが生まれてこなければよかったのかも」
- 「わたしを生きる」って、特別なことじゃない
- 「おかえり」って言ってあげたい
- 今日の問いかけ

誰かの期待に応えることが、わたしの役割だった
振り返れば、わたしはいつも誰かの期待の中で生きてきました。
親の期待。
先生の期待。
職場の期待。
パートナーの期待。
社会の「こうあるべき」という目に見えない圧力。
「期待に応えたい」なんて
そんな立派な動機じゃなくて、
ただ、嫌われたくなかった。
ただ、居場所を失いたくなかった。
その一心だったんだと思います。
しあわせって、なんだろう?
あるとき、わたしはふと思ったんです。
「しあわせになりたい」と願う一方で、
どこかで「しあわせになっちゃいけない」って思ってないか、と。
その感覚の根っこを探っていくと──
子どもの頃に見ていた「母の姿」に行き着きました。
感情の浮き沈みが激しく、
アルコールに依存していた母。
泣き叫ぶ姿も、道端でうずくまる姿も、
幼いわたしの目にはあまりに衝撃的でした。
母は言いました。
「死にたい」って。
「お父さんがギャンブルするから」って。
でも幼いわたしは、そのすべてが
「わたしがいるからじゃないか」と思っていた。

「わたしが生まれてこなければよかったのかも」
そんな風に感じていたあの頃のわたしに、
今のわたしが声をかけてあげるなら、
こう言いたい。
「よく、生きてきたね」って。
親の事情も、家族の痛みも、
全部背負い込んでしまっていた幼いわたし。
でも、あれは「わたしのせい」じゃなかった。
誰のせいでもなかった。
誰もが必死だった。
そう思えるようになったのは、ごく最近のことでした。

「わたしを生きる」って、特別なことじゃない
“本当の自分を生きる”とか、“自分らしさを取り戻す”とか、
よく言われるけれど──
わたしにとっての「わたしを生きる」は、
そんなに派手なことじゃなかった。
それはたとえば、
- 疲れてるときに、無理に頑張らないこと
- 嫌なことを「嫌だ」とちゃんと感じてあげること
- 泣きたいときに、素直に泣ける場所を自分に与えてあげること
つまり、「わたしの気持ちを、わたしが受けとめてあげること」だったんです。

「おかえり」って言ってあげたい
あの日からずっと、わたしは迷ってばかりだった。
母のようにはなりたくないと、
愛せない自分を責めたり、
傷つくたびに、誰かのせいにしたくなったり。
でも、わたしはようやく気づいたんです。
迷って、揺れて、それでも進んできたその道の先で、
ようやくわたしは、
「わたし」という存在に「おかえり」と言えるようになったんだって。

今日の問いかけ
- あなたは、いつから「わたし」を見失っていましたか?
- そのきっかけは、誰かの期待だったでしょうか?
- 今のあなたが、「おかえり」と声をかけたい自分は、どんなあなたですか?
📖 noteでは、このテーマにやさしく向き合う
「感情と向き合うワーク」を公開しています。
書くことで、感じる。感じることで、見えてくる。
そんな時間を、よかったら体験してみてくださいね。
👉 [noteで読む](https://note.com/jogo/n/n0b63501832a9?sub_rt=share_b)
それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと
あなたの心が、やさしく満たされるひとときでありますように。
生きとし生けるすべてのものが、 心穏やかで、しあわせでありますように。
本日もこのブログを訪れてくださり、 ほんとうにありがとうございます。
この場所は、自分自身の心と ゆっくり向き合うために生まれた、静かな記録です。
少し前までのわたしは、 自分の気持ちがうまくわからず、 ずっと生きづらさを感じていました。
けれど、感情を一つずつ見つめていく中で、 すこしずつ、自分自身と仲直りできるようになってきた気がします。
もしもいま、同じように 「自分の気持ちがわからない」 「心が疲れてしまった」
そんなふうに感じている方がいたら──
この場所のことばが、 少しでも、やさしい風のように届きますように。
よろしければ、過去の記事や 45秒で心が整うYouTubeショートも、ご覧くださいね。
🎬【YouTubeチャンネルはこちらゆきよちゃん - YouTube】
わたしがわたしを生きること。 あなたが、あなたを生きること。
そのどちらも、きっと、大切なひとつの光です。
またいつでも、戻ってきてくださいね。
