はじめに
こんにちは、ゆきよちゃんです🌿
今日は、仏陀の言葉からはじまる「こころの旅」シリーズの第一話をお届けします。
スタートのきっかけになったのは、この一節──
「つまずきも、人生の転機となる」
およそ一人のこの世に生まるるは、多くの人の利益のため、多くの人の幸福のため、世間を感ずるがため…
その一人とは誰ぞ──これ、世間にてあるなり。
_『増支部経典』より
- はじめに
- 「この人生に、意味はあるのか」
- そんなとき出会った、この一節
- わたしは、“わたしのまま”で、世間の一部だった
- つまずいたからこそ、出会えた人がいる
- 世間とは、わたしたち一人ひとりのこと
- いま、つまずいているあなたへ
- ☁️ こころに灯るリンクたち

「この人生に、意味はあるのか」
何度も、そう問いかけたことがあります。
子育てにつまずいたとき
家族関係に悩んだとき
自分の居場所が分からなくなったとき
「こんなわたしでも、生きていていいのかな?」
「誰かの役に立ててるのかな?」
そんなふうに、ぐるぐると思考がめぐって、
気づけば、自分の存在すらわからなくなる日がありました。
そんなとき出会った、この一節
「およそ一人のこの世に生まるるは、多くの人の利益のため、多くの人の幸福のため…」
誰かのために生まれてきた?
そんなわけないよ。
わたしなんか、誰の役にも立ててない。
最初は、そう思いました。
でも、よくよく読み返して、最後の一文に、ふと立ち止まりました。
「その一人とは誰ぞ──これ、世間にてあるなり。」
え? 「その一人」とは…「世間」?
どういうこと?
わたしは、“わたしのまま”で、世間の一部だった
この言葉を見つめながら、
わたしの中でふわっと、霧が晴れるような感覚がありました。
「誰か」じゃなくて
「すごい人」じゃなくて
「何かを成し遂げた人」じゃなくて
いま、ここにいる“わたし”が、その“世間”なんだ。
それはまるで、
「あなたが、あなたのままで生きることが、もう誰かの希望になっているよ」
って、優しく背中を押されたような感覚でした。
つまずいたからこそ、出会えた人がいる
わたしは、何度もつまずいてきました。
育児で、家庭で、人間関係で、自分自身との関係で。
でも、つまずいたからこそ、
その痛みを知っている人と出会えたし、
寄り添う言葉が生まれたし、
こんなふうに、ブログを書く時間が訪れました。
つまり、
つまずいたこともまた、「転機」だったんだと、いまなら思えます。
世間とは、わたしたち一人ひとりのこと
仏典の中で語られている「世間」とは、
どこか遠くの「社会」や「世界」ではなく、
わたしたち一人ひとりが形づくっている“いま、ここ”のこと。
わたしが笑えば、子どもが安心して
わたしが優しくなれば、家族がやわらいで
わたしが自分をゆるせば、誰かもゆるされる
そんなふうに、
わたしという小さな“世間”が、誰かの人生に影響を与えている。
それって、すごくあたたかい希望じゃないですか?
いま、つまずいているあなたへ
もし、いま
「自分には価値がない」と感じているなら。
「誰の役にも立てていない」と思っているなら。
どうか、今日のこの言葉を、胸に置いてみてください。
「つまずきも、人生の転機となる」
そして──その一人とは、「世間」である。
あなたのつまずきも、
誰かのやさしさになっていく。
そして、あなた自身の人生を、そっとひらいていく。
☁️ こころに灯るリンクたち
🌿 この言葉をやさしく語ったYouTubeショート
→ [釈迦から学ぶ108の言葉 #1|つまずきも、人生の転機となる]
(https://youtube.com/shorts/eJzOYB3qkOQ?feature=share)
📘 やさしく自分と向き合えるnoteの記事も書いてます →[ゆきよちゃんこころの手紙](https://note.com/jogo)
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今日も、読んでくれてありがとう。
あなたの心に、静かな光がともりますように。
また次回、仏陀のことばと共に🌙
ゆきよちゃんでした。