ゆきよちゃん|心の縄をほどく専門家からの手紙

ほどく、ゆるむ、自分に還る。 空海の智慧とともに綴る、あなたの心を自由にするメッセージ

# 15「愛せなかった自分」と、同じ海に立つ家族のこと――法海一味|空海の教えと共に

はじめに ―― 海はひとつ

法海一味(ほうかいいちみ)なれども機に従って深浅あり。

空海が『請来目録』に記したこの言葉は、

「法の海は一つの味である。 けれど、受け取る側の機(心の準備や状態)によって、深くも浅くもなる」

という意味を持ちます。

そこに優劣はありません。 ただ、立っている場所の水深が違うだけ。

この言葉を思うとき、わたしは家族のことを思い出します。

同じ酒の海にいながら ―― 家族という水深の違い

わたしも、かつてはお酒が好きでした。

父や弟と同じように、杯を重ねる夜もありました。

けれど、ある時から身体が受け付けなくなりました。

「やめよう」と強く決意したわけではありません。

ただ、身体が変わったのです。

今では、わずかな酒の気配にも敏感になりました。

一方で、父と弟の前には、いまも5リットルの大きな焼酎が並びます。

弟は肝機能障害や脳血栓、てんかんの症状まで抱えています。

同じ「酒」という海の中にいながら、立っている場所はずいぶん違う。

けれど、海はひとつです。

自分を愛せなかった頃 ―― 自己受容という深さ

わたしは、かつて自分を愛せませんでした。

許すこともできなかった。

どこかでいつも自分を責め、 そのままでは足りないと感じていました。

だから、生きづらかった。

今思えば、お酒に救いを求めていた部分もあったのかもしれません。

父や弟を見ていると、あの頃の自分を思い出すことがあります。

もしかしたら――

自分を許せないからこそ、自分を大切にできないのではないか。

そう思うと、責める気持ちは湧いてきません。

ただ、それぞれの水深で、それぞれが必死に呼吸しているだけなのだと感じるのです。

黄金の粉と身体の感受性 ―― 機に従うということ

その「黄金のパルメザン風」のふりかけは、 乳製品が苦手な息子のために作ったものでした。

酒粕と米粉を、2時間以上かけてゆっくり火入れする。

アルコールは飛んでいるはず。 理屈ではそう分かっています。

けれど、わたしの身体は、そのわずかな気配をはっきり感じ取ります。

そして、酔うのです。

わたしの身体は、もうかつての深い水深には戻れない。

だからわたしは弟にこう言いました。

「酒粕だから栄養あるよ。わたしたち家族は食べると酔っちゃうから、食べてみて」

酒粕は“飲む点滴”と言われるほど栄養価が高いもの。

わたしには強すぎる響きでも、 今の彼には必要な滋養になる。

同じ海から生まれたものでも、 受け取る身体によって、その意味は変わります。

これが「機に従う」ということなのかもしれません。

豆乳という慈悲 ―― 押しつけない優しさ

わたしは毎週、色とりどりの豆をブレンドして豆乳を作ります。

レンズ豆、黒豆、大豆、小豆、ひよこ豆、緑豆、アーモンド。

それを届けると、彼らは喜びます。

そこに込められた栄養や価値を、 わたしと同じように理解しているかは分かりません。

でも、それでいい。

深い教えを声高に説くことだけが慈悲ではない。

その人の今の水深に合ったものを、 そっと差し出すこと。

それが、空海のいう「機に従う」という在り方なのだと思います。

おわりに ―― 分断のない法海

わたしが「高く」なったわけでも、 彼らが「低い」わけでもありません。

ただ、水深が変わった。

海はひとつ。 味も、ひとつ。

深浅はあっても、分断はない。

その静かな法海の中で、 今日もわたしは豆を煮ます。


note元記事はこちら

この記事は、noteに掲載している

[「愛せなかった自分」と、同じ海に立つ家族のこと――法海一味|空海の教えと共に #15 ](https://note.com/jogo/n/nc06e19bb1b65

を、はてなブログ用に再構成したものです。

シリーズの流れで読みたい方は、note本編もどうぞ。

https://note.com/jogo/


/ 空海 / 法海一味 / 請来目録 / 自己受容 / 家族の物語 / 食と心 / 慈悲 / 機根 / エッセイ /