はじめに ―― 決定の天獄なし
心を改むること巳(すで)に難(がた)きのみ。 何ぞ決定(けつじょう)の天・獄(てん・ごく)有らんや。
(『三教指帰』)
「心を入れ替えることが難しいだけだ。
どうして天国か地獄かが、最初から決まっているなんてことがあるだろうか。」
若き日の空海が残したこの言葉。
地獄のような苦しみも、
天国のような安らぎも、
あらかじめ定められているわけではない。
すべては、
いま、ここにある自分の「心」ひとつ。
世界をどう見るかで、
天も地も、その姿を変えていくのだと思います。

22番テーブルでもらった肯定
年末、弟が実家に戻ってきてから、
77歳の父の帰宅が遅くなっているのが気にかかっていました。
「あいつがいると話しづらいんじゃないかと思ってな」
そう言って笑う父。
けれどその優しさが、
父自身の居場所を狭めているようにも見えました。
数十年ぶりのカフェ。
その後の回転寿司。
「お父さん、自分を大切にしていいんだよ。
弟のために無理して蟻地獄にハマらないで」
割れた入れ歯で必死に働いて得たお金が、
弟の酒と煙に消えていく。
その連鎖を止めたくて、
私は必死に言葉を渡しました。
ふと目に入った席番号は「22」。
“信じて進め”という意味を持つといわれるその数字が、
私たちの対話を静かに肯定してくれているようでした。
車中で聞いた「俺の生き様」
いつもは2皿しか食べない父が、
その日は5皿と茶碗蒸しまで平らげました。
帰り道、私は父に言いました。
「『自分を愛し許します』って、言ってみてよ」
父は照れたように笑いながら、
決してその言葉を口にしませんでした。
代わりに返ってきたのは、
短く、しかし揺るがない一言でした。
「俺には俺の生き様がある」
その瞬間、私は気づきました。
父を「救うべき人」として、
勝手に地獄に置いていたのは、
私のほうだったのかもしれないと。
父には父の選択があり、
父の誇りがあり、
父の歩んできた道がある。
「幸代」という名前の意味
今朝、自分の名前の由来を思い出しました。
私の名前は「幸代」。
父は「幸人」。
母は願っていました。
「父がギャンブルをやめてくれますように」と。
私は、父を正すために
この名前を与えられたのだと思っていました。
名前の中に、
母の執着が閉じ込められているようで、
どこか重たいものを感じていたのです。
けれど。
幸せそうに寿司を頬張る父の横顔を見て、
何かがふっとほどけました。
母の願いは巡り巡って、
こうして父と笑う“今”に繋がっていたのかもしれない。
「幸代、いい名前じゃないか」
そう思えたとき、
その名前はもう呪いではありませんでした。
軽やかな祝福でした。
おわりに ―― 途は今、ここから拓ける
帰り道、
「余計なアドバイスをしたかな」
と心が揺れました。
弟が少しずつ畑を片付け始めた姿を見て、
また迷いも生まれました。
けれど。
決定の天獄なし。
誰かの人生を地獄だと決めつけるのではなく、
いま目の前にある
「美味しい」
「嬉しい」
をただ分かち合う。
父には父の生き様がある。
弟には弟の歩みがある。
そして私は、
「幸代」として自分の呼吸を整える。
天国も地獄も、外側にあるのではない。
それは、
わたしの心が決めている。
今日もまた、
ここから途は拓けていきます。
note元記事はこちら
この記事は、noteに掲載している
「俺の生き様」と、定まらない天獄――幸代という名に魔法をかけて|空海の教えとともに #19
を、はてなブログ用に再構成したものです。
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