はじめに ―― 今いる場所が、そのまま道場
こんにちは。
心の紐をやさしくほどくヒントをお届けしている
ゆきよちゃん(城後幸代)です🌿
今日は、不登校のお子さんを持つご家庭で、
「月に一度の学校面談が負担に感じている」
そんなママへ、少しでも心が軽くなるヒントを届けられたらと思い、この記事を書きました。
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空海が説く「道場」の正体
行に在り、座に在りても、観智離れず。 あるは眠り、あるは覚るに、道場すなはち変ず。
(『念持真言理観啓白文』)
歩いていても。
座っていても。
眠っていても、目覚めていても。
本来の智慧は、あなたから離れない。
あなたが今いるその場所が、そのまま「道場」なのだ。
この言葉に出会ったとき、私は肩の力がふっと抜けました。
特別な場所へ行かなくてもいい。
特別な修行を積まなくてもいい。
今ここで起きている出来事そのものが、
すでに魂を磨く場だったのだと知ったからです。
剣を置いても、私は弱くなっていない
以前の私は、
正しさで戦い
怒りで突破し
答えを勝ち取りに行く
そんな生き方をしていました。
でも気づいたのです。
剣を振り回すほど、
自分の心が削れていくことに。
戦わないことは、負けではありません。
静かに在る強さがある。
怒りを手放しても、
本質を見抜く目は曇らない。
むしろ静かになった分だけ、
世界の構造がはっきり見えるようになりました。
「委ねる」という智慧
そんな私に、先日一通のメールが届きました。
娘の学校の校長先生からでした。
そこには、事務的な確認への強い執着のような空気と、
それが難しい場合は
「教育委員会へ相談を」
という言葉が並んでいました。
さらに、何かあった場合の責任の所在を示唆するような、
無言のニュアンスも感じました。
かつての私なら、
「娘の気持ちを無視しないで!」
と感情で揺れていたと思います。
あるいは、
娘の気持ちを後回しにして、
先生の望む“正しい対応”を優先していたかもしれません。
でも今の私は、ただ静かに返しました。
「わかりました。私から教育委員会へ相談しますね🌿」
それは諦めではありません。
相手を打ち負かそうとするエネルギーを手放し、
もっと大きな流れへ委ねた選択でした。
校長先生もまた「道場」に立つ人
校長先生もまた、
組織という型の中で、
自分の役割を果たしている一人の人。
そこに私の感情をぶつけても、
お互いの観智を曇らせるだけです。
教育委員会へ足を運ぶこと。
娘のありのままを伝えること。
それもまた、今の私にとって大切な「行」です。
事務手続きでさえ、
祈りを込めることはできる。
そう気づいたとき、
学校とのやり取りという
重たい日常が、
ふっと軽やかな光に包まれました。
不登校の子どもを持つママへ
もし今、
先生からの連絡に胸がざわつくなら。
正しさに押されて苦しくなっているなら。
覚えていてください。
あなたは間違っていません。
戦わなくてもいい。
従わなくてもいい。
子どもを守る形は、ひとつではありません。
静かに委ねることも、
立派な愛の行動です。
おわりに ―― 今いる場所が、あなたの道場
子どもの涙も。
学校との対話も。
揺れる自分の感情も。
すべてが、あなたを責めるためではありません。
あなたが
母としての強さ
人としての深さ
を思い出すための道場です。
歩いていても。
眠っていても。
あなたの智慧は離れません。
だから大丈夫。
今日もあなたは、
ちゃんと光の道の上にいます。
城後 幸代
note元記事はこちら
この記事は、noteに掲載している
「[歩いていても、眠っていても──今いる場所が『道場』に変わる瞬間|空海の教えとともに #21」(https://note.com/jogo/n/n15aeb43e6654)
を、はてなブログ用に再構成したものです。
シリーズの流れで読みたい方は、note本編もどうぞ。
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