はじめに ── わたしは、どこにいるのだろう
人生のすべての出来事は、自分の心が映し出した世界。
こんにちは。
心の紐をやさしくほどくお手伝いをしている
ゆきよちゃん(城後幸代)です🌿
今日は、空海の静かな問いとともに、
「わたしとは何か」という感覚に、そっと触れてみたいと思います。
- はじめに ── わたしは、どこにいるのだろう
- 🌿 今日のことば
- 🌿 私は、何のためにここにいるのか
- 🌿 身体があるから、感じられる
- 🌿 空海が示したもの
- 🌿 感じきることを、やめない
- 🌿 生きるということ
- 🌿 おわりに ── わたしは、いまここにいる
- 🌿 noteで、もう少し深く
- ハッシュタグ
- 空海の教えとともに
- 般若心経秘鍵
- 四念処
- 自己探求
- 感じるということ
- 内観

🌿 今日のことば
白骨に我何んか在る。青瘀に人本よりなし。吾が師はこれ四念なり。
『般若心経秘鍵』
骨になったとき、
そこに“私”はどこにいるのか。
変わり続けるこの身体に、
そもそも“人”という実体はあるのか。
少し強く響く言葉ですが、
これは命を否定するものではなく、
「わたしとは何か」を
静かに問いかける言葉です。
🌿 私は、何のためにここにいるのか
私はときどき、こう感じます。
わたしたちは、
源から分かれて
“感じるためにここにいる”のではないか、と。
源は、どこか遠くにある場所ではなく、
いまこの瞬間の奥に、ずっと流れているもの。
だから、戻る必要はなくて。
ただ、
体験するためにここに在る。
🌿 身体があるから、感じられる
息子の寝顔を見て、胸があたたかくなる。
娘に飛び乗られて、
「重たいなぁ」と笑う。
弟が「もう来なくていい」と言いながら、
「畑行こう」と言うと、少しだけ嬉しそうにする。
そのひとつひとつが、
・身体があるから感じられる
・感情があるから味わえる
・心があるから揺れる
もし源のままだったら、
区別も、揺らぎもなかったのかもしれません。
でも分かれたからこそ、
「あたたかい」がわかる。
🌿 空海が示したもの
空海は言います。
身体を観よ。
感情を観よ。
心を観よ。
これは、
「否定せよ」でもなく
「超えよ」でもなく
ただ、観よ。
怒っている。
悲しんでいる。
比べている。
それを責めるのでも、
巻き込まれるのでもなく、
ただ、静かに見つめる。
それが「四念処」という在り方です。
🌿 感じきることを、やめない
感じることをやめたとき、
わたしたちは“自分”から少し離れていきます。
でも、
感じていることを
そのまま受け止めたとき、
その奥に、
“それを感じている存在”があることに気づきます。
🌿 生きるということ
生きるとは、
悟ることでもなく、
消えることでもなく、
どこかへ戻ることでもなく、
ただ、
今ここで感じていることを受け止めること。
最近、セッションの時間に、
背中がじんわりあたたかくなることがあります。
特別なことではなく、
ただ心地よい感覚。
それはきっと、
源が、いまこの体験を
静かに味わっている感覚。
与えるでも、変えるでもなく、
ただ、
ともに在る。
🌿 おわりに ── わたしは、いまここにいる
骨になったとき、
私はどこにいるのか。
もしかしたらそれは、
身体でもなく、
思考でもなく、
評価でもなく、
感じている“今”そのものなのかもしれません。
源は遠くにありません。
息子の寝顔の中に。
娘の重みに。
弟の笑みに。
そして、
この瞬間に広がる、
じんわりとしたあたたかさの中に。
今日もまた、
静かに、
感じながら🌿
🌿 noteで、もう少し深く
この記事で触れた「感じる」というテーマや、
心の奥にある感覚については、
noteでもやさしく深めています。
読むだけで、少し自分に戻れるような時間を届けています🌿
必要なときに、そっとのぞいてみてください。