ゆきよちゃん|心の縄をほどく専門家からの手紙

ほどく、ゆるむ、自分に還る。 空海の智慧とともに綴る、あなたの心を自由にするメッセージ

#29 私はどこにいるのか──感じるためにここに在るということ|空海の教えとともに

はじめに ── わたしは、どこにいるのだろう

人生のすべての出来事は、自分の心が映し出した世界。

こんにちは。
心の紐をやさしくほどくお手伝いをしている
ゆきよちゃん(城後幸代)です🌿

今日は、空海の静かな問いとともに、
「わたしとは何か」という感覚に、そっと触れてみたいと思います。


🌿 今日のことば

白骨に我何んか在る。青瘀に人本よりなし。吾が師はこれ四念なり。
『般若心経秘鍵』

骨になったとき、
そこに“私”はどこにいるのか。

変わり続けるこの身体に、
そもそも“人”という実体はあるのか。

少し強く響く言葉ですが、
これは命を否定するものではなく、

「わたしとは何か」を
静かに問いかける言葉です。


🌿 私は、何のためにここにいるのか

私はときどき、こう感じます。

わたしたちは、
源から分かれて

“感じるためにここにいる”のではないか、と。

源は、どこか遠くにある場所ではなく、
いまこの瞬間の奥に、ずっと流れているもの。

だから、戻る必要はなくて。

ただ、
体験するためにここに在る。


🌿 身体があるから、感じられる

息子の寝顔を見て、胸があたたかくなる。

娘に飛び乗られて、
「重たいなぁ」と笑う。

弟が「もう来なくていい」と言いながら、
「畑行こう」と言うと、少しだけ嬉しそうにする。

そのひとつひとつが、

・身体があるから感じられる
・感情があるから味わえる
・心があるから揺れる

もし源のままだったら、
区別も、揺らぎもなかったのかもしれません。

でも分かれたからこそ、
「あたたかい」がわかる。


🌿 空海が示したもの

空海は言います。

身体を観よ。
感情を観よ。
心を観よ。

これは、

「否定せよ」でもなく
「超えよ」でもなく

ただ、観よ

怒っている。
悲しんでいる。
比べている。

それを責めるのでも、
巻き込まれるのでもなく、

ただ、静かに見つめる。

それが「四念処」という在り方です。


🌿 感じきることを、やめない

感じることをやめたとき、
わたしたちは“自分”から少し離れていきます。

でも、

感じていることを
そのまま受け止めたとき、

その奥に、

“それを感じている存在”があることに気づきます。


🌿 生きるということ

生きるとは、

悟ることでもなく、
消えることでもなく、
どこかへ戻ることでもなく、

ただ、

今ここで感じていることを受け止めること。

最近、セッションの時間に、
背中がじんわりあたたかくなることがあります。

特別なことではなく、
ただ心地よい感覚。

それはきっと、

源が、いまこの体験を
静かに味わっている感覚。

与えるでも、変えるでもなく、

ただ、
ともに在る。


🌿 おわりに ── わたしは、いまここにいる

骨になったとき、
私はどこにいるのか。

もしかしたらそれは、

身体でもなく、
思考でもなく、
評価でもなく、

感じている“今”そのものなのかもしれません。

源は遠くにありません。

息子の寝顔の中に。
娘の重みに。
弟の笑みに。

そして、

この瞬間に広がる、
じんわりとしたあたたかさの中に。

今日もまた、

静かに、
感じながら🌿


🌿 noteで、もう少し深く

この記事で触れた「感じる」というテーマや、
心の奥にある感覚については、
noteでもやさしく深めています。

読むだけで、少し自分に戻れるような時間を届けています🌿
必要なときに、そっとのぞいてみてください。


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