ゆきよちゃん|心の手紙 〜「愛と調和」学び森からあなたへ〜

🌿 ゆきよちゃん 心の手紙 🌿 ここは、日々のあわただしさの中でふと立ち止まりたくなったあなたへ届ける、やさしい心の森です。 自然の声や感情のささやきに耳をすませながら、 “ほんとうのわたし”を思い出していく── そんな旅を、あなたと一緒に歩いていけたらうれしいです。

他人のカルマを背負わないという優しさ ~依存から抜けて、自分を生きるために~

はじめに

「助けたい」 「なんとかしてあげたい」

そんな気持ちが湧いてくる相手が、家族にいることってありますよね。

でも最近私は、「助ける」という優しさが、必ずしも相手のためにならないこともあると知りました。

これは、弟や父との関わりのなかで気づいた、大切な「境界線」と「愛し方」の話です。

「借金はクセになる」——あるおばあちゃんの話から

少し前、たまたまおばあちゃんと話す機会がありました。

「近所の人の話ね、すぐお金が足りないって言っては消費者金融に手を出すのよ」

「借金するたびにその奥さんが返してあげて…“次やったら離婚よ”って言っても、また借りちゃって…」

——この話、どこかで聞いたことがあるような気がしてなりませんでした。

彼女が話すその男性は、若いころから親が借金を何度も肩代わりしてきたそうです。

「どうせ誰かが助けてくれる」

そう信じて疑わない習慣が、彼に染みついてしまっていたのです。

私の弟も、似たところがある

弟は、お金がないと言っては父に頼り、 父もまた、「困っているなら…」とお金を差し出してしまう。

私や私の子供たちがどれだけ「渡しちゃダメだよ」と伝えても、繰り返されるそのやりとり。

「これはもう、依存の関係なんじゃないか?」

そう思うようになりました。

それは、もはや“愛情”じゃないのかもしれない

確かに、助けてあげたいという思いは「愛」かもしれません。

でも、その裏には…

・相手の課題を“肩代わり”することで、 ・「自分がいなきゃダメ」という役割を保とうとする ・“罪悪感”や“コントロール欲求”が潜んでいる

そんな風にも見えてしまうのです。

他人のカルマまで背負わないと決めた日

他人の人生には、他人が乗り越えるべき課題(カルマ)があります。

それを代わりに背負ってしまうと、

• 相手の成長の機会を奪う
• 自分の時間やエネルギーが消耗する
• 共倒れになる

私はあるとき、こう決めました。

「もう、弟のカルマは背負わない」

それは冷たさじゃなく、信頼のかたちだと今は思っています。

本当のサポートとは「見守る勇気」

相手がつらそうなとき、手を差し伸べたくなるのは自然です。

でも、

「あなたなら、自分で立てる」

そう信じて見守ることも、深い愛の表現だと感じるようになりました。

まとめ:他人の人生を背負うのは、無責任な優しさかもしれない

• 依存は、優しさの顔をした共倒れ
• 境界線を引くことで、双方が自律できる
• 相手の課題を“返す”ことも、愛のひとつ

私は今、「自分の人生に責任を持つ」ことを意識しています。

他人のカルマを背負わず、私は私を生きる。 その姿勢が、いつか相手の目を覚ますヒントになると信じています。

🌱あなたに問いかけたいこと

あなたの身近に、「助けたいけど、何度も繰り返す人」はいませんか?

その人のために、あなたはどんな「距離感」で接したいですか?

家族との距離感 / 共依存からの脱却 / 手放す勇気 / カルマの話 / 心を守る選択 / 本当の優しさとは

それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと ご縁ある方の全ての方が心穏やかで、しあわせでありますように。

本日もこのブログを訪れてくださり、 ほんとうにありがとうございます。

この場所は、自分自身の心と ゆっくり向き合うために生まれた、静かな記録です。

少し前までのわたしは、 自分の気持ちがうまくわからず、 ずっと生きづらさを感じていました。

けれど、感情を一つずつ見つめていく中で、 すこしずつ、自分自身と仲直りできるようになってきた気がします。

もしもいま、同じように 「自分の気持ちがわからない」 「心が疲れてしまった」

そんなふうに感じている方がいたら── この場所のことばが、 少しでも、やさしい風のように届きますように。

わたしがわたしを生きること。
あなたが、あなたを生きること。

そのどちらも、きっと、大切なひとつの光です。