はじめに
「助けたい」 「なんとかしてあげたい」
そんな気持ちが湧いてくる相手が、家族にいることってありますよね。
でも最近私は、「助ける」という優しさが、必ずしも相手のためにならないこともあると知りました。
これは、弟や父との関わりのなかで気づいた、大切な「境界線」と「愛し方」の話です。
- はじめに
- 「借金はクセになる」——あるおばあちゃんの話から
- 私の弟も、似たところがある
- それは、もはや“愛情”じゃないのかもしれない
- 他人のカルマまで背負わないと決めた日
- 本当のサポートとは「見守る勇気」
- まとめ:他人の人生を背負うのは、無責任な優しさかもしれない

「借金はクセになる」——あるおばあちゃんの話から
少し前、たまたまおばあちゃんと話す機会がありました。
「近所の人の話ね、すぐお金が足りないって言っては消費者金融に手を出すのよ」
「借金するたびにその奥さんが返してあげて…“次やったら離婚よ”って言っても、また借りちゃって…」
——この話、どこかで聞いたことがあるような気がしてなりませんでした。
彼女が話すその男性は、若いころから親が借金を何度も肩代わりしてきたそうです。
「どうせ誰かが助けてくれる」
そう信じて疑わない習慣が、彼に染みついてしまっていたのです。
- はじめに
- 「借金はクセになる」——あるおばあちゃんの話から
- 私の弟も、似たところがある
- それは、もはや“愛情”じゃないのかもしれない
- 他人のカルマまで背負わないと決めた日
- 本当のサポートとは「見守る勇気」
- まとめ:他人の人生を背負うのは、無責任な優しさかもしれない
私の弟も、似たところがある
弟は、お金がないと言っては父に頼り、 父もまた、「困っているなら…」とお金を差し出してしまう。
私や私の子供たちがどれだけ「渡しちゃダメだよ」と伝えても、繰り返されるそのやりとり。
「これはもう、依存の関係なんじゃないか?」
そう思うようになりました。
それは、もはや“愛情”じゃないのかもしれない
確かに、助けてあげたいという思いは「愛」かもしれません。
でも、その裏には…
・相手の課題を“肩代わり”することで、 ・「自分がいなきゃダメ」という役割を保とうとする ・“罪悪感”や“コントロール欲求”が潜んでいる
そんな風にも見えてしまうのです。
他人のカルマまで背負わないと決めた日
他人の人生には、他人が乗り越えるべき課題(カルマ)があります。
それを代わりに背負ってしまうと、
• 相手の成長の機会を奪う
• 自分の時間やエネルギーが消耗する
• 共倒れになる
私はあるとき、こう決めました。
「もう、弟のカルマは背負わない」
それは冷たさじゃなく、信頼のかたちだと今は思っています。
本当のサポートとは「見守る勇気」
相手がつらそうなとき、手を差し伸べたくなるのは自然です。
でも、
「あなたなら、自分で立てる」
そう信じて見守ることも、深い愛の表現だと感じるようになりました。
まとめ:他人の人生を背負うのは、無責任な優しさかもしれない
• 依存は、優しさの顔をした共倒れ
• 境界線を引くことで、双方が自律できる
• 相手の課題を“返す”ことも、愛のひとつ
私は今、「自分の人生に責任を持つ」ことを意識しています。
他人のカルマを背負わず、私は私を生きる。 その姿勢が、いつか相手の目を覚ますヒントになると信じています。
🌱あなたに問いかけたいこと
あなたの身近に、「助けたいけど、何度も繰り返す人」はいませんか?
その人のために、あなたはどんな「距離感」で接したいですか?
家族との距離感 / 共依存からの脱却 / 手放す勇気 / カルマの話 / 心を守る選択 / 本当の優しさとは
それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと ご縁ある方の全ての方が心穏やかで、しあわせでありますように。
本日もこのブログを訪れてくださり、 ほんとうにありがとうございます。
この場所は、自分自身の心と ゆっくり向き合うために生まれた、静かな記録です。
少し前までのわたしは、 自分の気持ちがうまくわからず、 ずっと生きづらさを感じていました。
けれど、感情を一つずつ見つめていく中で、 すこしずつ、自分自身と仲直りできるようになってきた気がします。
もしもいま、同じように 「自分の気持ちがわからない」 「心が疲れてしまった」
そんなふうに感じている方がいたら── この場所のことばが、 少しでも、やさしい風のように届きますように。
わたしがわたしを生きること。
あなたが、あなたを生きること。
そのどちらも、きっと、大切なひとつの光です。