はじめに
不思議な出来事の余韻は、時間が経ってから静かに届くことがあります。
5月8日。星野村にある福楽寺で、護摩焚きに立ち会わせていただいたあの日から、何かが私の中でゆっくりと変わりはじめていました。
その変化は目に見えるものではなくて、日々の暮らしのすき間にふわりと広がるような――
“自分に戻るやさしさ”のような感覚でした。
目次

響きが残したもの
護摩の炎の前に立ったあの日の前日、前々日。
頭の中に真言が自然に浮かんできたことを、私は何度も思い出していました。
「おん あびら うんけん そわか らどばん」
「おん あぼ ぎゃーべ ぼしゃのう……」
「のうまく さんまんだー……」
音としては記憶の片すみにあったはずなのに、
まるで今の自分に必要なタイミングで、心の奥から響いてきたような感覚。
そのときは確かに「特別な出来事」のように思えたけれど、数日経って思ったのです。
これは、“あの瞬間”だけのものじゃない。
日常の中に、ちゃんと残っている。

静けさがそこにあった
東京に戻ってからの日々は、以前と同じように忙しくて、やるべきことも、子どもたちとの時間も、相変わらず目の前にありました。
けれど、どこか違っていました。
駅のホームで電車を待っているとき、
お茶を飲みながらふと窓の外を見たとき、
子どもの寝顔にそっと布団をかけたとき――
そんな小さな瞬間に、心からの深い感謝とともに、静けさがそっと訪れるのです。
あの日の祈りの火のように、言葉も意味もないけれど、
ただ「ここにいる」ことを思い出させてくれるような、やさしい感覚。

もう、探さなくていい
以前の私は、ずっと何かを“探して”いたように思います。
安心できる言葉、信じられる答え、未来の保証。
「もっとこうなりたい」「もっと深く知りたい」と思っていたことも、たくさんありました。
でも今は、心の中にこう問いかけることが増えました。
それって、本当に必要?
今ここにあるものを、ちゃんと感じてる?
不思議だけれど、真言が心に響いてきたあの日から、私は「もう探さなくてもいい」と思えるようになったのです。

日常こそが、戻る場所
護摩焚きのような神聖な場に行かなくても、
特別な祈りを捧げなくても――
「やさしさに戻る場所は、自分の中にある。」
そう思えることが、今の私にとっては、いちばん大きな“祈り”なのかもしれません。
おにぎりを握る手のぬくもりも、
「ありがとう」と伝えるときの呼吸も、
私のなかにあるやさしさが、日常の中に静かに戻ってくる瞬間。

おわりに
この体験を通して、あらためて気づいたことがあります。
「やさしさや、あたたかさって、探すものではなく、思い出すものなんだ」
何かを取りに行くのではなく、
立ち止まって、心の奥を感じてみるだけでいい。
今、ここにある感謝と静けさの中で、
私は、少しずつ自分に還っていく。
今日もまた、やさしさに戻れるように。
その感覚を忘れずに、私は暮らしていきたいと思います。
それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと——
生きとし生けるすべてのものが、心穏やかで幸せでありますように。
本日もブログをご覧いただき、心より感謝申し上げます。
このブログは、自分自身の心との対話を通して、内面を整理するために書いているものです。
今ではこうして文章を書くことができていますが、少し前までは、自分の感情がよく分からずにいました。
そのために、生きづらさを感じていたのも事実です。
同じように、自分の感情がつかめずに悩んでいる方へ——
少しでも心が穏やかになるヒントをお届けできればという思いで、日々記事を更新しています。
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一人でも多くの方が、本来の自分を取り戻し、
自分らしい生き方を選択できることを、心から願っています。