はじめに
このところ、言葉が自然と浮かんできます。
でも、それは誰かに何かを伝えたくて出てきているというより、
「自分の内側にたしかめたいもの」が形になってあらわれてくる――そんな感覚です。
書くという行為が、
私にとって「自分への問いかけ」になってきていることに気づきました。
目次:

心の静けさが問いを生む
5月の星野村で感じたあたたかな余韻は、日常に戻ってからも、静かに私の中に息づいています。
護摩焚きの火の前で蘇った真言の響き。
あれから私は、「なぜ今、これが自分の中に響いたのか?」と、何度も問いかけてきました。
「私は、どこに戻ろうとしていたんだろう?」
「何を忘れていて、何を思い出そうとしていたんだろう?」
そうやって問いを立てるたび、答えのようなものが、少しずつ内側からにじむように出てきます。
そしてその一部が、言葉になっていくのです。

書くことは、学びの記録
私はいつも、「誰かに伝えたい」と思って書いているわけではありません。
むしろ、自分のために、自分に向けて書いているのだと思います。
心が揺れたとき、その理由を知りたくなる。
言葉にすることで、自分の中にある“静かな答え”と出会える気がする。
そういう感覚が、日々の内省の中で強まってきました。
「私は今、何を感じているのか?」
「なぜその感覚に気づいたのか?」
気づきは、気づこうとした人のもとにだけ降りてくる。
だから私は、書くことで自分に問いかけ続けているのです。

やさしさが、自然に分かち合われていく
そうやって自分のために綴っていた言葉が、
ふとしたときに「誰かの心にも届いていた」と知ることがあります。
それは嬉しいというより、不思議な安心感です。
「やっぱり、感じていることは誰かとつながっているんだ」と思えるから。
私は「伝えたい」のではなく、「分かち合いたい」と思ったときにだけ、言葉が前に出てくる。
だから、誰かの役に立つための文章じゃなくていい。
ただ、今の私が気づいたことを、正直に書き残しておきたい。
それがいつか、誰かの“問い”と交差する瞬間があるのなら――
それは嬉しい偶然です。
私は、人を変えたいとは思いませんし、変えられるとも思っていません。
ただ、人はそれぞれの課題を学ぶために生まれてきたのではないかと感じています。
だからこそ、自分が気づいたことを人に伝わりやすい言葉で表現することも、また自分自身の気づきを深めることにつながるのではないかと思っているのです。

おわりに
私はこれからも、ブログを書き続けていこうと思います。
それは、自分の内側を整理するためであり、
やさしさや静けさと、もう一度つながるため。
誰かに認めてもらうためでも、立派な文章を残すためでもなく、ただ、自分の気づきを大切に育てていくために。
その記録が、めぐりめぐって誰かの心にそっと触れたなら、それはとてもありがたいこと。
でもまずは――
私自身が、自分の心とまっすぐに向き合っていく。
ブログは、私にとってそのための静かな場所でありつづけてくれています。
それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと——
生きとし生けるすべてのものが、心穏やかで幸せでありますように。
本日もブログをご覧いただき、心より感謝申し上げます。
このブログは、自分自身の心との対話を通して、内面を整理するために書いているものです。
今ではこうして文章を書くことができていますが、少し前までは、自分の感情がよく分からずにいました。
そのために、生きづらさを感じていたのも事実です。
同じように、自分の感情がつかめずに悩んでいる方へ——
少しでも心が穏やかになるヒントをお届けできればという思いで、日々記事を更新しています。
よろしければ、過去のブログやYouTubeも、何かしら参考にしていただけたら嬉しいです。
【YouTubeチャンネルはこちら】
https://m.youtube.com/@396miracle
一人でも多くの方が、本来の自分を取り戻し、
自分らしい生き方を選択できることを、心から願っています。
aichyouwa-nomori.hatenablog.jp