母が最後にくれた、かけがえのない贈り物
母が永眠したあの日、私の内面に大きな変化が訪れました。
それは、日常のあらゆる瞬間に、心から「ありがとう」と感じる気持ちが自然と溢れ出すようになったことです。
たとえば、朝の光が差し込む窓辺や、ふと目にした花、そして子供と何気なく交わす一言。
どんな些細な出来事も、以前はただ流れていたのに、今ではまるで宝石のように輝いて見えるのです。
母の死という苦しい現実の中で、私はこれまで何度も経験してきた「自己一致」の瞬間が、ひときわ深い意味を持つことに気づきました。
母のいなくなったことで、心の中にあった自己統合が一気に進み、かつてないほど自分自身と向き合えるようになったのです。

母との関係と、私の中にあった葛藤
小さい頃から、母の言動にはどうしても違和感を覚えていました。
母はしばしば愚痴をこぼし、他人を自分の思い通りに動かそうとする姿勢がありました。そのため、幼い私は「もっと違う人になってほしい」と願っていたのです。しかし、母の厳しさは、実は自分自身を許せなかった内面からの叫びだったのかもしれません。
母が亡くなったとき、ふと立ち止まって考えました。
「母が見ていた世界は、どれほど重く、生きづらかったのだろうか…」
そして、ある瞬間、心に深く響いたのが「人生は写鏡」という言葉でした。
母が他人に厳しい理想を求め続けたのは、自分に対する苦悩の表れであり、私もまた、知らず知らずのうちにその枠に囚われていたのだと気づかされたのです。

自分の幻想を超えて――「生きづらさ」の正体
母の死を通して、私は大切な真実に気づきました。
「生きづらさとは、他人が押し付けるものではなく、自分自身が作り出した幻想である」ということです。
母は「こうあるべき」という理想に自分を縛り込み、結果として自らの苦しみを生み出していた。その姿を見つめ直すことで、私自身もまた、他人との比較や自己批判にとらわれていたことを思い知らされました。
この気づきは、私にとって解放の瞬間でした。
自分の心がどれほど自由であったか、そして本来の自分自身の美しさを取り戻すためには、まず自分を許すことが必要なのだと実感しました。
日常の中に「ありがとう」が輝く
母がいなくなってから、私は毎日の中に散らばる小さな奇跡に気づくようになりました。
たとえば、子供と寝起きの何気ないふとした瞬間。隣で安らかに眠る子供の姿に、心が温かくなる。
誰かのさりげない優しさや、自然の美しさに出会うたび、「ありがとう」という言葉が、心から自然に溢れ出すのです。
かつては、「感謝しなきゃ」と無理に自分に言い聞かせていたものが、今では自分の存在そのものから溢れ出す感情へと変わりました。
これは、自己一致が進んだ結果だと、心の底から感じています。
みなさんも「こうあるべき」に縛られていませんか?

母への最後のメッセージ――そして未来への問いかけ
母を通じて、私は「人生の見方次第で、どんな世界にも変わりうる」という大切な教訓を学びました。
今、心の奥深くから湧き上がる感謝の気持ちをもって、私は母にこう伝えたい。
「お母さんありがとう」
母がくれた感謝という贈り物を胸に、これからも一日一日の時間を大切に生き、心のあり方を磨いていきたいと思います。

皆さんは、大切な人との出会いや別れを通して、どんな学びや気づきを得ましたか?
その一瞬一瞬に潜む宝物を、どうか大切にしてほしいと願います。