―― 念を飛ばさない生き方 ――
人は誰かのことを「心配」するとき、それを「愛」だと信じて疑わないことがあります。
でも本当にそうでしょうか?
心配の奥には、不安や恐れが隠れていることがあります。
今日は、「心配すること」と「信頼して時を待つこと」について、私自身の体験とともに綴ってみたいと思います。
目次:

弟を心配しなかった私
以前、仕事中に突然弟の主治医から電話がありました。
「弟さんがアルコール依存で、肝臓の数値が悪化しています。
入院するように、あなたからも説得してもらえませんか?」
そう言われたとき、私は静かにこう思いました。
「これは私の問題ではない。彼自身の問題なのだ」と。
だからお医者様にも、
「彼の問題なので、彼自身が選択すべき話なので判断は彼に委ねます」とお伝えしました。
もちろん、彼の命や健康は大切です。
でも、私は“心配”というエネルギーを彼に向けないと決めていました。
なぜなら――
心配とは、知らず知らずのうちに「念」を飛ばしてしまう行為だからです。

念を飛ばすとはどういうことか
たとえば、こんなふうに思ったことはありませんか?
• ちゃんと食べてるかな…
• 病気になっていないかな…
• あの子、大丈夫かな…
こうした強い思いは、ただの心の声ではなく、“エネルギー”として相手に向かって放たれます。
スピリチュアルな世界では、これを「意念」や「氣」と呼びます。
仏教では「加持(かじ)」という形で祈りを届ける技法もあるそうです。
もちろん、純粋な愛や感謝のエネルギーなら、それは優しく温かなものです。
でも、「心配」は恐れや不安の周波数を持っていて、重たい周波数なんです。
それが念として飛んでしまうと――
相手も無意識にそのエネルギーを受け取ってしまうことがあります。

念は良くも悪くも影響する
怒りや恨みを強く抱いたときに、それが「生霊」となって届く――
そんな言い伝えもありますね。
一方で、「幸せでいてほしい」と願う祈りや想いも、同じように届くと言われます。
つまり、感情や意図が強いほど、それはエネルギーとして伝わりやすくなる。
心配という念を飛ばせば、
その人の“今ここ”に「不安な未来の可能性」を投げかけることになってしまいます。
そして実は、念を飛ばした人自身も、エネルギーが消耗してしまうのです。

現実的な視点から見ても…
科学的には「念を飛ばす」現象は証明されていないかもしれません。
でも、「どうしよう、どうしよう」と思いながら相手に関わると、
私たちの言葉や表情、雰囲気はそれを無意識に表してしまいます。
その結果として、相手にネガティブな印象や影響を与えてしまうこともあります。
だから私は、心配よりも「信頼する」ことを選びたいと思っています。

心配より、信頼して時を待つ
信頼とは――
相手の中にある力や可能性を信じて見守ること。
「時を待つ」とは――
焦らず、今という瞬間に静かに立ち会うこと。
信頼して時を待つことで得られるものはたくさんあります:
• 精神的な安定:不安から解放され、穏やかでいられます。
• 相手へのよい影響:信頼されていると感じることで、自信を取り戻す人もいます。
• 行動のタイミングが整う:焦って手を出すより、状況を見守る方が良い結果に繋がることもあります。
• エネルギーの節約:必要以上に気をすり減らさずに済みます。
もちろん、必要な行動があるときには動けばいいのです。
でも、ただ「心配するだけ」なら、
そのエネルギーは信頼と祈りに変えたほうが、お互いのためになります。

おわりに
「心配することが愛だ」と思っていた私たちは、
実は愛のような姿をした“恐れ”を送っていたのかもしれません。
これからは――
心配するのではなく、信じて、祈って、待つ。
今日、もし誰かを“心配”していたら、
そっとその思いを“信頼”に変えてみませんか?
それはきっと、愛と調和の世界に向かう一歩になるはずです。
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それでは!今日も「愛と感謝と調和」の元生きとし生ける全てのものが心穏やかで幸せでありますように!
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