はじめに
静かな気づきから始まった
あるとき、ふと心の奥から湧いてきた言葉がありました。
「すべてに意味があるって、私は知っていた。」
それは誰かに教わったものではなく、
本を読んで知識として学んだわけでもなく、
ずっと、どこか深いところで“そう思っていた”感覚でした。
子どもの頃から、不思議なことがたくさんありました。
願ったことが叶ったり、必要な人と出会ったり。
気づけば導かれていたような出来事の数々が、今も静かに心に残っています。
目次:

願いと祈りの違いに気づいた瞬間
最初は、「願い」でした。
「お金がなくても海外に行きたい」
「大学に行きたいけど、まだ働きたくない」
「東京で就職したい」
その願いは、どれも小さな祈りのようで、
なぜか不思議なかたちで叶っていきました。
英語がまったくできなくても青年海外協力隊に受かって、留学制度のある高校に入り、1年の海外留学。
そして自己推薦で大学に合格し、
採用試験では最下位だったのに、なぜか東京のIT企業に採用された。
後から振り返って思ったのです。
「あれは願って叶ったというより、“導かれていた”のかもしれない」と。

「祈り」が生まれたときの私
5年ほど前からでしょうか。
神社に参拝するとき、あるいは日常の中で自然とこう祈るようになっていました。
「生きとし生けるものが、心穏やかで幸せでありますように。」
誰のためでもなく、
どこか特定の誰かを思い浮かべるでもなく、
ただただ、“すべてのいのち”がやすらかであるようにと、静かに祈っていたのです。
すると、不思議なことに――
人生の流れが、大きく動き出しました。
それまで停滞していた物事がするすると動き、
必要な人と出会い、
新しい道が開かれていきました。

「好き・嫌い」がほどけていった時間
最初のころは、「好きな人」「嫌いな人」と言葉を分けて祈っていました。
「私の好きな人が心穏やかで幸せであることを感謝します」
「私の嫌いな人が心穏やかで幸せであることを感謝します」
でも、あるときふと気づいたのです。
**「私、嫌いな人が、いないんだ」**と。
あえて言うなら、
母を投影していた「娘」に対して、当時は向き合いきれなかった想いがあった。
でもそれは、「娘が嫌い」なのではなく、
「自分の中の癒えていなかった過去」を見せられていただけだったのだと気づきました。
そして、そのまなざしが変わったとき、
「好き・嫌い」の境界線が、ふっと消えていったのです。

今、私が祈っていること
今の私の祈りは、もう願いではありません。
それは“すでにある”ことへの感謝の表現です。
「私自身が、心穏やかで幸せであること。心から感謝します」
「私の身近な人が、心穏やかで幸せであること。心から感謝します」
「生きとし生けるすべてのいのちが、心穏やかで幸せであること。心から感謝します」
この祈りを口にすると、
自分の内側がやさしく整っていきます。

まとめ
意味のある人生を、私は歩いている
今思えば、過去のすべての経験――
傷も、迷いも、涙も、出会いも別れも、
すべてに“意味”があったと心から思えるのです。
あのときの願いも、
娘との葛藤も、
世界のすべてに「意味がある」と思えたとき、
私の祈りは変わり、人生も変わり始めました。
「すべてに意味がある」
そう信じられる今の私で、これからも静かに、
やわらかく、生きていこうと思います。

【あとがき】
もし今、「なんでこんなことが起きるんだろう」と思う出来事に出会っている方がいたら、もしかしたら、今はまだ“意味が見えないだけ”なのかもしれません。
それでも、どうか心のどこかに置いてみてください。
**「これにも、きっと意味がある」**と。
そして、あなたの心がいつか静かに晴れて、
世界がやさしく見える日がきますように。
それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと——
生きとし生けるすべてのものが、心穏やかで幸せでありますように。
本日もブログをご覧いただき、心より感謝申し上げます。
このブログは、自分自身の心との対話を通して、内面を整理するために書いているものです。
今ではこうして文章を書くことができていますが、少し前までは、自分の感情がよく分からずにいました。
そのために、生きづらさを感じていたのも事実です。
同じように、自分の感情がつかめずに悩んでいる方へ——
少しでも心が穏やかになるヒントをお届けできればという思いで、日々記事を更新しています。
よろしければ、過去のブログやYouTubeも、何かしら参考にしていただけたら嬉しいです。
【YouTubeチャンネルはこちら】
https://m.youtube.com/@396miracle
一人でも多くの方が、本来の自分を取り戻し、
自分らしい生き方を選択できることを、心から願っています。
もしこの文章に少しでも共鳴したら、
それはあなたの中にも「知っていた記憶」がある証かもしれません。
今日も、読んでくださってありがとうございます。