はじめに
私にとって“祈り”とは
振り返ると、私にとって“祈り”は、
いつも「誰かのため」にあった気がします。
大切な人が元気でありますように。
子どもたちが笑顔で過ごせますように。
誰かの悲しみが、少しでもやわらぎますように
そんなふうに、
“誰か”を思い浮かべながら、私は祈ってきました。
でも、ある時から少しずつ、
その“祈りのかたち”が変わっていったのです。
目次:

気づけば、祈りの対象が広がっていた
気づいたら私は、
人だけじゃなくて、いろんなものに祈っていました。
朝の光に
湯気の立ち上るお味噌汁に
風の匂いに
森の中の木々に
「ありがとう」
「今日もいてくれて、ありがとう」
そうやって、
名前のないものたちに向かって、
自然と祈っている自分がいたのです。

それは“お願い”ではなく、“感謝”だった
以前の私は、祈りとは“何かをお願いすること”だと思っていました。
でも今の私にとって祈りは、
「いま、ここに在ること」への感謝なんです。
何かを変えてほしいわけじゃない。
叶えてほしい夢があるわけでもない。
ただ、そのままでいてくれてありがとう、という想いが、
気づけば祈りになっていました。

どうして祈りが変わっていったのか
たぶん私は、
少しずつ世界の見え方が変わってきたのだと思います。
以前は、「この人のために」とか「自分の幸せのために」といった
“目的”のような祈りが中心だったけれど、
今はただ、すべてのいのちが愛おしいと感じられる。
目に見えない存在も
声なきものたちも
私のまわりに在るすべての命が
ひとしく尊くて、美しいと、心から思えるようになったから。

今、私はこんなふうに祈っている
「私自身が心穏やかで幸せであること、心から感謝します」
「私の身近な人が心穏やかで幸せであること、心から感謝します」
「生きとし生けるものすべてのいのちが、心穏やかで幸せであること、心から感謝します」
この祈りは、願いではなく、
“すでにあること”を大切に思う心からこぼれてきた言葉です。

まとめ
祈りは、私の“在り方”になった
私の中で、祈りは形を変えました。
誰かのために願うものから、
すべてのいのちに寄り添うものへ。
そして今では、
祈りは“私がどんなふうにこの世界と関わるか”という在り方そのものになっています。
何かを成し遂げなくても、
何も持っていなくても、
ただ感謝できる心があれば、
そこにもう祈りは生まれている。

【あとがき】
もし今、あなたの中に「祈るってなんだろう?」という気持ちがあるのなら、
無理に答えを探さなくてもいいと思います。
あなたのなかにふと浮かんだ「ありがとう」
それが、あなたの祈りのはじまりかもしれません。
今日もここに来てくれて、ありがとう。
それでは今日も、「愛と感謝と調和」のもと——
生きとし生けるすべてのものが、心穏やかで幸せでありますように。
本日もブログをご覧いただき、心より感謝申し上げます。
このブログは、自分自身の心との対話を通して、内面を整理するために書いているものです。
今ではこうして文章を書くことができていますが、少し前までは、自分の感情がよく分からずにいました。
そのために、生きづらさを感じていたのも事実です。
同じように、自分の感情がつかめずに悩んでいる方へ——
少しでも心が穏やかになるヒントをお届けできればという思いで、日々記事を更新しています。
よろしければ、過去のブログやYouTubeも、何かしら参考にしていただけたら嬉しいです。
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一人でも多くの方が、本来の自分を取り戻し、
自分らしい生き方を選択できることを、心から願っています。
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